2011年9月27日火曜日

震災ボランティアに行って参りました

先週、仙台へ災害支援ボランティアに行って参りました。
今の段階では、個人のボランティアを受け入れてくれる市町村は減っており、快く引き受けてくれるのは、遠野市と仙台ルーテルの2か所だけでした。

仙台ルーテルを選んだ理由は、石巻へ行けるから。残念ながら、石巻が一番多くの人が亡くなられた所ですから。

日程は、こんな感じでした。
20日 東京―仙台間の移動
(震災支援証明書を出して頂き、高速が無料になりました。手続きも簡単でした。)
ルーテル教会に夜8時に到着。礼拝堂を仮の宿泊施設として利用していました。

**私が寝ていたベッドです。教会の長椅子を向かい合わせにしています。**

21日 6時半出発  仙台ー気仙沼へ移動
前浜着 8時半 現地で支援品の衣料品仕訳作業をやりました。
まずは、支援品のダンボール箱100箱を仮設住宅の集会場の移動させ、
そこで、夏物・冬物に分けて、そのあと、男性用、女性用、子供服それぞれに分別する作業。
ほこりとの戦いでした。

**仕分け作業中です**

**こんな感じで服の頒布会があったみたいです**

帰りに、気仙沼港を廻って帰りました。
漁港は、サンマ漁船、カツオ漁船が20-30隻ほど停泊しており、活気が徐々に戻りつつあります。
でも、漁港の周りの土産物屋・定食屋・ホテル等は、復興のきざしもみられません。
漁港だけが先行して復興しましたが、その後の周辺地域の復元にはまだまだ時間がかかりそうです。

22日 東松島 仮設小学校 通学路整備
この日は台風が来ていたので雨の中の作業でした。

**雨の中、女性陣がんばってます**

**これで安全な通学路になりました**

**パンツまで濡れてますけど、最後に抱井ちゃんと記念撮影**

3時に作業が終わりましたので、そのあと、東松島の海岸方面を視察してきました。
海岸に近づくにつれ、破壊された家や流されて何もないむき出しの土地。
10mの高さにもなろうかというがれきの山。
地盤沈下で雨水が引かなくなってしまった交差点。
やっぱり津波;の力はすごいです。





23日 今日は石巻です。6時に仙台を出発。石巻ボラセンに8時半に集合し、受付を済ませます。
その後、今日の支援依頼があった案件ごとに、10人ほどのチームに分けられます。
うちら、ルーテルチームは、海岸にほどちかい個人宅の清掃でした。

現地に行ってみると、そこは新興住宅地の様で、新しいおうちばかり。
ここでも、津波は1階をすべて呑みこんだそうです。

**ボラセンで受け付けです**

**石巻ボラセンのピースボート備蓄倉庫・資材置き場**

**1階が全壊のアパート。まだ新しいんです。**

**ここは全面杉林だったのが、根こそぎやられたそうです。中央奥に小舟があります。これは海から流れてきたんですが、この船があったおかげで、孤立した住宅から多くの人を移送する事ができたそうです。まさに、命を守った船ですね。**

**みんなで片づけても5時間かかりました**

石巻の被災状況の写真はこんな感じでした。



という事で、作業はこんな感じでした。

現地でのお昼は、おにぎり持っていったり、現地のボランティアさんのカレー食べたりって感じです。
朝と夜は、教会の会議室で簡単な食事。宿泊と食事を無償で提供して頂きました。
食事が終わると、お祈りするんですが、僕は信者ではないので、まあ適当にやってます。
宿泊は、仙台ルーテル教会の礼拝場に寝袋で寝ました。
でも、寝袋じゃあ、熟睡はできませんでした。これが一番つらかったです。

今回、震災ボラに行って感じたのは、自分が参加した時のメンバーが、女性が多かった事。それと、関西からのボランティアさんが多かった。
仲谷さん、焼田さん、弓場さん(男)(関西組)
佐伯さん(山口)
斉藤さん(北海道)
土田(男)(東京)
こんなメンバーで、6人中女性が4名でした。東京は、自分一人。もっと東京人、がんばろう!って思いました。

最終日が石巻だったんですけど、ボラセンで受け付けするんですが、その日の参加ボランティアは、合計300名超だったそうです。一時期は1000名以上の方が、この石巻に入っていたそうですから、だいぶ減りましたが、それでもまだまだ支援の輪はつながっています。

でも、本音は大変疲れました。肉体労働と寝袋ではやはり熟睡できないので、帰って来た日は全く起き上れませんでした。そんなになるほど動いたんですから、まあまあ頑張ってきたつもりです。

仙台の皆さん、大変お世話になりました。また、機会があれば参加します。
引き続き、がんばってください。遠くから応援しています!!

**いつもお世話になった ルーテル仙台 となりびと号**

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